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関西イグ・ノーベル賞座談会
〜股のぞきとワニにヘリウムが生まれた関西〜

論理・人・環境の三軸で考えるイグ・ノーベル賞がオモロイポイント

ライター:田中幹

写真:栩谷啓太

関西とイグ・ノーベル賞受賞者

イグ・ノーベル賞。その名をニュースで耳にしたことがある方も多いだろう。毎年行われるノーベル賞のパロディ版として知られ、「人々を笑わせ考えさせた研究」に対して与えられる賞である。授賞式はなぜか格調高くハーバード大学で行われ、本家ノーベル賞受賞者が列席することもあるという。ザッと受賞リストを見渡せば、過去では『落下するココナッツによる負傷』(医学賞、2001)『なぜキツツキは頭痛がしないか』(鳥類学賞、2006)『円盤投げ選手は目が回り、ハンマー投げ選手は目が回らないのはなぜか』(物理学賞、2011)などの研究が表彰されているこの賞において日本は常連受賞国であり、関西エリアからの受賞者も多い。

関西とイグ・ノーベル賞、なにかつながりがありそうだ。急遽、関西在住の受賞者である立命館大学東山篤規先生、大阪大学西村剛先生のお二方をお招きし座談会を決行させていただいた。

お二人の受賞研究を見てみよう。東山先生は「前かがみになって股の間から後ろ方向にものを見ると、違って見えることを調査したことに対して」、西村先生は「ヨウスコウワニにヘリウムガスを吸わせても声が変化することを調べた功績に対して」という研究で共同研究者とともに受賞している。誰もが思うことがある。どうしてそんな研究をしようとおもったのか。

東山先生「もともと体と見ている世界の関係に興味あったんです。たとえば垂直水平錯視というのがあるんですが、縦と横は同じ長さでも、縦のほうが1.5倍に見えるんですが、これが寝転んでみると同じ長さに見えるんです。我々が見ている世界は〈身体軸〉〈視環境軸〉〈重力軸〉の3つで出来ているという理論を立てたんですが、その理論は90度までは当てはまるんです。180度でもその理論は当てはまるのか。それが〈股のぞき〉の調査にたどりついた理由です」

西村先生「もともと言語に興味があったんです。なぜ人だけ言語を持つのか。言語はどうやってできあがっているのか。それで音の研究をやったんです。テナガザルがホーホーホーと鳴きますが、その鳴き声を調べるためにヘリウムガスを使って研究しました。たとえばコオロギの鳴き声は羽の音。これは声じゃない。カエルはゲコゲコ鳴きますがあれも声じゃないんです。だからヘリウムを吸わせても声じゃないから変わらないんです。音なんです。鳥はヘリウムガスで変わるんです。だからこれは声なんです。共同研究者のステファンさんが恐竜が声だったのか興味を持った。鳥にいちばん近い爬虫類はワニなんです。ワニは鳴くので、ワニにヘリウムを吸わせてみたところ声だということがわかりました。つまり恐竜も声で鳴いてると考えられます」

お二人が興味を持ったテーマから、受賞に至った「笑える」研究に至るまで、きわめてロジカルにつながっていることに驚く。一見、「企画」的に論文タイトルを考えて、実験を行い、論文にして発表したのではないかと思ってしまうほど、いずれの研究テーマも「珍妙」であるが、まったくそんなプロセスではなかった。だから、「何が面白がられてるのかさっぱりわからん」と西村先生はいう。

東山先生も「自分の論文がのったのは『VISIONRESERCH』というガチガチの雑誌で受けを狙って投稿するような雑誌じゃないです」とのこと。
イグ・ノーベル賞はウケ狙いで獲れる賞ではないのだ。

イグ・ノーベル賞がオモロイポイント

①「論理」

では受賞のためには何が大事なのか?「身体と視覚のつながり」「言語」など『根幹にあるテーマから最終アウトプットである面白いタイトルの論文にまで一気通貫した論理でつながっていること』。ここはイグ・ノーベル賞を狙うなら絶対外せないチェックポイントとなるのではないか。
人を笑わせ考えさせるために必要なのは、まずは「論理」である。

②「人」

お話を伺ううちに、さらに他にも大事なことが見えてきた。

東山先生「研究者として重要なことは人のやらないテーマをみつけること。そのテーマが一生かけてやる値打ちがあるテーマか。それを選ぶのが研究者として芽が出やすい。基本は教科書に書いてないことをやる」
西村先生「ゴールを自分で決める。これやってくださいって頼まれてやるわけじゃない。好奇心で研究をやってるので、あかんかったらポイッと捨てて終わりでええんで」

自分のテーマを自分で決めて自分で研究する。これがイグ・ノーベル賞を狙う上で大事な2点目かもしれない。
独立不羈は難しい。だが面白い。一貫した論理だけではなく、貫いている「人」の要素も必要だと考えられる。

③関西という「環境」

環境も大事な要因ではないか。関西という環境が研究において役立ったことはあるだろうか聞いてみた。

東山先生「自分の頃は大学が自由にさせてくれたのがよかった。いまはお金をとれる研究をしなさいと上がいってくる。昔は(文系は)学位をとるよりも、君が何を考えてるのか一生かけてまとめればいいという雰囲気だった。いまは学位をとらなくてはいけない。すると5年くらいでまとまる研究テーマしか選ばなくなる。効率的で全体にレベルアップするけど、とってしまったら終わりになる。昔は『キュアロスティ(奇妙さ)』が残っていた。変人っぽいところがなくなってしまった」

西村先生「なにをやれといわれたこともない。勝手にやってましたから。教員からすれば、昔は手をかけない。ほったらかしなんですよ。それが自由なんであって。評価はされなくても、後々なんか面白いものにつながるんです。いまは手厚いんですが、ひとつのレールが用意されてそこにはまっていってしまっている。べつにええやん、そんなもんと思うんですけど」

無駄こそ愉快

タイパ・効率化の波は研究の世界にも来ているようであるが、自由な関西の風土はお二人の受賞に役立ったようだ。

東山先生「無駄はないです。なにをやってもどっかで生きてくると思う」
西村先生「いまの成果にあなたの無駄は生きていますかといわれたら結びついてないかもしれない。だが失敗や無駄が糧にはなっている」

オモロイの重要な要素の一つとしてロスの多さもあるようだ。関西で研究がはじまり世界で評価された「股のぞきの研究」「ワニにヘリウムの研究」がオモロイのは、それがふんだんな無駄で支えられていたからであるといえよう。